第4回 「明治期のテニス」



◆テニス伝来

テニスがいつ日本に伝わったかというのははっきり分かっていませんが、
1878年(明治11年)にアメリカ人のリーランドが用具を取り寄せて文部省の体操伝習所で紹介したのが初めてだと言われています。

ただ当時用いられていた外国産のボールは大変高価で日本人が入手することは困難だったので、当時輸入されていた玩具のゴムボールを代わりに使っていました。

これが軟式テニスの由来です。

後に伝習場が東京高等師範の付属になり、そこでテニスを知った教師たちがそれぞれの赴任先で体育の授業やクラブ活動としてテニスを広めたことと、ゴムボールの国産化に成功したことなども相まって、テニスは急速に普及していきます。



◆テニスと女学生

テニス普及の裏には政府の思惑も絡んでいました。

このときの明治政府は富国強兵を急いでおり、日本の近代化のために学校教育の普及に熱心でした。

その目標のひとつが「体格改善」です。

当時の女子についてもその流れが来ていたようで1887年に東京高等女学校でこんな講演があったそうです。

「‐前略‐(西洋人との体格差に理由について)第1には衣食住の別、第2には運動の多少であらう。この諸点に善く注意したらむには、日本人といえども遠からずして西洋人に近き人種にならうと思われます。」

このことから分かるように当時の女子にも運動が必要だと考えられていたのです。

その運動も規則的な体操よりむしろテニス、クロケット、鬼ごっこなどの遊戯が勧められていました。

幸いにもこのとき既に軟式テニスが日本の小中学校で盛んになっていたので女子に向いたソフトなスポーツとして心を捕らえていったのでしょう。



◆テニス大会

なお日本人同士初となる対抗テニスの試合を行ったのは東京高等師範と東京高等商業学校(現一橋大学)でした。

1898年(明治31年)のことです。試合のルールはだいたい硬式テニスと同じですが、まだ石灰がないのでラインは木を埋めたり棕櫚縄を張って釘でとめたりしていたそうです。

だからゲーム中にラインに引っかかることも多かったんだとか。

ちなみに服装はメリヤスのシャツに黒の普段のズボン、兵児帯、足袋、地下足袋でしたがラケットは外国製とちょっと不釣り合いな感じがしますね。

1902年(明治35年)からは早稲田、慶應が加わり、対抗試合が回数を重ねて行くにつれて、世間が興味を抱き始め話題なっていきました。

その熱狂ブリは今日の高校野球並だったそうです。


文責 原野千翔(梅津仰子役・装置)